仏のことばを読む六. 般若心経 その28
即説咒曰は今まで述べてきたことから次に真言を説く、という意味になります。梵語では単に「すなわち」という語が使用されているにすぎません。しかし、この「すなわち」は真言の効験を説明した後に、真言を説く場合に本文と真言を結びつけるために密教経典で常用される語法です。この文章構成の形式を重視すれば『般若心経』が密教経典であるという論証も可能です。密教経典であると断定しなくても、大乗仏教の経典の中で密教的な表現がなされた経典であるといえるでしょう。
掲諦 揭諦 波羅掲諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆賀は真言ですから、梵語そのままの表記になります。梵語の音を漢字で音写したので読みにくい漢字表記になっています。また表記の漢字が各宗派で流布している経本によって異なることがあります。この梵語をどのように訳すかについて、研究者の間でさまざまな考えがありますが、決定的な現代語訳は不可能であると思います。ここでは和訳を控えておき、ただ真言であるからそのまま唱えることが肝要です。
般若心経と最後に記されています。経の冒頭に経題が付いているので必要がないように思えます。これは梵語を訳しているからです。梵語では経典の始めではなく、最後に経題を示すのです。その梵語(サンスクリット)を訳すと「ここに『智慧の完成(般若波羅蜜多)の心髄』を終わる」となっています。
以上で「般若心経」の説明を終えます。前半はダルマ (法)が実在しない空である状態(空性)についてくり返し説き、後半で空性を透徹(とうてつ)して体得する智慧の完成には、すべての苦を鎮める不可思議な力が込められているので、般若波羅蜜多そのものが真言であると説きます。そして、最後に智慧の完成に至る真言を説いて終わります。
このように真言を強調し、真言の呪術的効験を般若波羅蜜多に認める経典であるので、弘法大師は密教的に経典を解釈したのです。般若波羅蜜多が真言であるので、この真言は大般若波羅蜜多菩薩の心真言(心臓に宿る根本の真言)であると理解します。それゆえ経典全体は大般若波羅蜜多菩薩の悟りの境界を説き明かしていることになります。