真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その8

 成立に関して謎の多い経典ですが、その内容を理解する際に、ほとんどの学僧や学者は経題の「心」という語に注目しています。そして「心」を心髄と理解し、六百巻にもなる膨大な『大般若経』の思想のエッセンスを説いているという解釈がかつては主流でした。確かに『大般若経』はあまりにも膨大なため読誦することも、そして理解することも容易ではありません。そこで『般若心経』はその心髄を説いている短い経典であるとすることは都合のよい考え方です。
 しかし、実際には『般若心経』は『大般若経』の心髄を説いたものではありません。確認のために他の般若経と比較してみると『般若心経』の多くの部分は鳩摩羅什(くまらじゅう)【344~413】 の漢訳した『摩訶般若波羅蜜経』の一部がそのまま書き写されていることが分かります。したがって『摩訶般若波羅蜜経』との関連が濃厚であることが分かりますが、『般若心経』の後半部分はまったくそれの書き写しではなく、他の般若経には見られない独自の思想を展開しています。それゆえ、この独自の思想を『般若心経』の中心テーマであると考えると、経題の「心」はまったく違った意味に理解できます。しかもそこであらためて弘法大師の解釈が参照されます。このようなことを念頭において『般若心経』を読んでみましょう。
 まず経題は「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」となっています。これが正式の題名です。ところが真言宗以外の宗派では「仏説」をつけず、「摩訶般若波羅蜜多心経」としています。なぜ真言宗だけ「仏説」を付け加えるのでしょうか。おそらく弘法大師が伝えた経典では「仏説」が加えられていたと予測できます。というのも、弘法大師の書かれた『般若心経秘鍵』の中に梵語が記されており、そこには「仏説」の原語が付けられ、それを『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』と漢訳しているからです。私たちは弘法大師の教えを受け継ぐ立場から、読誦の時には正式に「仏説」をつけて唱えます。
 

仏のことばを読む一覧