真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その17

 不垢不浄 不増不減というのも、不生不滅と同様に「空である状態」ではダルマ【法】が実在しないことから、汚と浄、増と減が成り立たないのです。不生不滅と同様に、これらはすべて一対の概念で説かれています。すなわち「A」という概念と「Aでない」という概念と対になっています。すなわち「A」と「非A」はどちらも概念であり、それは言葉が紡(つむ)ぎ出したものにすぎず、実在しないとされます。このように日常生活では対概念でさまざまに認識していますが、それを根本から見直すために常識はずれのような表現を多用しているのです。確かに私たちは上-下、縦-横、左-右など空間も対概念で把握しているだけでなく、正-不正、善-悪などと道徳的価値も対概念で考えています。さらには私たちの根本的な判断である「~である」「~でない」と「~がある」「~がない」というすべての認識の基本も、言葉による対概念の虚構にすぎないのです。このように世界を把握するのも、すべて言語による虚構にすぎません。その虚構を取り除いた状態が「空である状態」すなわち空性とされます。
 次の是故というのは前に述べた諸法空相が理由となるということです。この理由のもとですべてのダルマ【法】がさまざまな釈尊の説法に即して実在しないことを主張します。
 無色受想行識はすでに述べた五蘊のそれぞれのダルマ【法】が実在しないということです。

 

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