真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その14

 皆空とは五蘊のどれもが空であるという意味です。ここで空といわれているのは梵語で確認すると「自性が欠けている」という意味になります。一般に「~がない」「~が欠けている」という意味が空といわれます。ここでは「自性が欠けている」「自性がない」ということが空といわれています。ここでいう「自性」とは「それだけで自立している存在」という意味です。ところが、先に述べたように五蘊のそれぞれのダルマ【法】は言葉で言われているにすぎないので、実体としての「自性が欠けている」ということになります。それを大乗仏教では無自性といいます。無自性を空というのです。
 
 度一切苦厄は先に述べたように梵語の原典にはなく、漢訳の際に挿入されたと思われます。空であることを体得すれば、確かに苦しみや悩みや災厄による不幸な思いなどはなくなりますが、ここではその理由が説かれていません。おそらく観自在菩薩を観世音菩薩と同一視し、観世音菩薩は空を体得し、衆生を苦厄から救い出すと考えたのでしょう。ちなみに度とは救うという意味です。
 以上が最初の段落で序文にあたります。次にさらに詳しく、従来の仏教で実在とされたダルマ【法】が空であることを説きます。空であることを釈尊がシャーリプトラ【舎利弗(しゃりほつ)】に説明する段落が続きます。
 

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