真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む二. 三帰礼文   その1

 仏に懺悔をして心を清らかにしたら、次に帰依の心を表します。仏教徒として三宝(さんぽう)に帰依します。それを三帰といいます。三宝とは三つの宝、すなわち仏宝(ぶっぽう)・法宝(ほうぼう)・僧宝(そうぼう)です。この三つは仏教徒にとってはかけがえのないものなので宝に譬(たと)えるのです。それゆえ全世界の仏教徒は、それぞれに伝えられる教え(宗派)が異なっていようとも、三宝に帰依することでは共通しています。
 まず仏とは仏陀のことです。仏陀とは古代インドのブッダという言葉の音を漢字で表しています。原語のブッダとは「目覚めたもの」という意味です。すなわち、この世界や人生の真実のあり方に目覚めたものがブッダということになります。その目覚めを悟りともいいます。お釈迦さまは三十五歳の時に菩提樹の下で深い瞑想に入り、ブッダとなりました。悟りを開いたお釈迦さまを釈迦仏(しゃか ぶつ)あるいは釈迦如来(にょらい)といいます。如来という語も仏陀を指します。大乗仏教ではお釈迦さまのほかにも多くの「目覚めたもの」が無限の世界に存在すると考えます。例えば阿弥陀(あみだ)如来や薬師(やくし)如来も仏陀です。真言宗ではすべての仏陀を生み出す根本の仏陀として大日(だいにち)如来を根本の本尊とします。各寺院の本尊さまは、この大日如来が救いの働きをもって現れた仏と考えられています。
 仏は教えを説いて私たちを救ってくれる宝なので仏宝といいます。
 次に法宝の法とは仏の教えのことです。仏の教えはとても貴いので法宝といいます。仏の教えは大きく分けて二種類になります。一つは経で、もう一つは律です。経は仏がさまざまな場所で、さまざまな人々にこの世のあり方や人生の生き方を教えたものです。
 まず経の成立について申し上げておきます。釈尊が入滅(にゅうめつ)し、人々が悲しみにうちひしがれている時、当時の仏教教団の指導的立場にあった摩訶迦葉(まかかしょう)という釈尊の弟子が「釈尊の教えが失われないように」という思いで約五百人の修行僧を王舎城(おうしゃじょう)郊外の山中の八葉窟(はちようくつ)という洞窟に集めました。そこで釈尊に最も長く仕えていた阿難(あなん)という弟子に、釈尊が語られた内容を話すように命じました。阿難は「このように私は聞きました。ある時世尊(せそん)は~(場所)で~(説法の相手)に語られました」と暗記していた教えを語ります。その内容を他の修行僧が了解すると、それが経として認められました。そして、経は文字で書き記すことなく、口頭で伝承され続けました。それから長い歴史を経て、他の宗教のように教えを文字で記すようになりました。このような経典の数は膨大(ぼうだい)な量になります。それらを集成した全体を経蔵(きょうぞう)といいます。
 そして、紀元前後の頃に大乗仏教が起こると、大乗仏教の教えにふさわしい経典が次々と制作されるようになりました。大乗仏教の経典制作は七世紀頃まで行われました。初期の頃の代表的な経典が『般若経(はんにゃぎょう)』『法華経(ほけきょう)』『華厳経(けごんぎょう)』『阿弥陀経』などがあります。これらの経典は中国・日本の仏教各宗派の根本経典となりました。そして、大乗仏教が次第に密教(みっきょう)的な傾向を強め、ついに『大日経(だいにちきょう)』や『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』が成立し、後の真言宗の根本経典となりました。
 釈尊入滅から密教経典成立まで、およそ千年もの間、インドでは仏教経典が制作され続けたのです。しかも、それらはすべて仏の教えとして尊崇(そんすう)され、仏宝とされるのです。
つづく

仏のことばを読む一覧