風信(かぜのたより) No.87
この世の中で暮らしていれば、人と人とが関わり、自分と違う他人と接触すれば、うまく行く時もありますが、うまく行かずトラブルになることもきっと生じます。気疲れして、ストレスが重なります。そしてそれが、身体や心に知らず知らずの内に響いてきます。首や肩のコリ、腰痛、倦怠感に胃痛に、気が晴れない、うつなんてことも、思いもよらない変調がもたらされます。

人には喜怒哀楽があります。その喜怒哀楽にこそ、人の個性が現れます。その人の喜び、怒り、哀しみ、楽しみは実にさまざま、表情は多種多様です。同時に何に心が動くか、何にハマるかも人それぞれで、人柄がにじみ出ます。もともと誰もが感受性が鋭く、心は豊かなはずです。だからこそ、相手の考えを感じることも、受け止めることも、尊重もできます。
自分に喜怒哀楽があるから、他人の喜怒哀楽にも気づけるし、違いも分かる。折り合いとか落しどころも見いだせます。人づきあいは面倒だとか、真剣な気持ちを「重い」と受け流してしまう。それはちょっと寂しい気がします。人と人との関係は「ご縁」とか、強い結びつきを「絆(きづな)」とも言いますね。面倒くさがった結果、人との関係性が薄れて、無縁社会と呼ばれるようになり、現実に孤独死も増えています。コロナ禍の後には自死者も目に見えて増え、年間2万人をはるかに越えるそうです。

人にはより所や支えが絶対に必要です。支え合えるから人は暮らしていける、そんな当たり前のことがおざなりになっていませんか?災害で被災した地域では、人と人との絆があったから、支え合えたから復興の兆しが芽生え、生きようという希望と勇気が育まれました。普段は面倒な人づきあい、でも一大事にはこれほど頼もしい、人に生きる力をあふれさせるものはありません。
そして私たちの支えとなり、より所となるものがもう一つあります。真言宗の宗祖、弘法大師空海お大師さまです。お大師さまはいつも私たちの傍らにいらっしゃって共に歩んでいます。あなたは気がついていますか?生きている時も、私たちに死が訪れる瞬間も。さらには死んだ後も、私たちを真言宗の浄土、密厳浄土へ導いてくれます。いまもなお、あなたと一緒に同行二人しています。
「南無大師遍照金剛」とお唱えすればするほど、あなたはきっとお大師さまを強く感じられます。
