風信(かぜのたより) No.85
心の支えとなるものって何かありますか? あなたのよりどころとなるものはありますか? 何もかもうまく行っている、毎日をいつものように過ごしている。それなら何も問題はないでしょう。不安も怖れも感じない日常なら、そのまま先へ歩みを進めて行きましょう。でも……私たちの行く先には、良いことばかりが待っているわけではありません。きっとこの先には嫌なことも、苦しいこともいっぱいあるでしょう。これまで通りの日常が送れる保証はどこにもないでしょう。
決して怖がらせるとか、不安にさせるつもりで言っているのではありません。でも……私たちがどこか痛くなったり、病んだり、年老いたり、死ぬことは必ず保証します。でも、ずっとこのまま健康でいる、この若さのままでいる、生き続けられるという保証は何もありません。なぜってそれは、誰もが知っていること……人間とはそういうものです。
決して怖がらせるとか、不安にさせるつもりで言っているのではありません。でも……私たちがどこか痛くなったり、病んだり、年老いたり、死ぬことは必ず保証します。でも、ずっとこのまま健康でいる、この若さのままでいる、生き続けられるという保証は何もありません。なぜってそれは、誰もが知っていること……人間とはそういうものです。

生きることさえ嫌になる。これから先、そんな想いになることもあるでしょう。あきらめたり、投げ出したくなる、孤独にさいなまれる時、心を支えてくれる存在が無性に欲しくなる。その時には宗教や信じられるものが欲しくなるかも知れません。仏教とか真言宗と関わっているなら、弘法大師空海、お大師さまの存在は何にも代えがたいものとなります。今もなお、時を超えて、お大師さまの存在は多くの人々の心のより所となっています。高野山の奥の院には、今もなお、お大師さまがその身のまま生きて禅定に入られています。私たちを見守ってくれていると信じられていて、それを入定(にゅうじょう)信仰と云います。「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」このお大師さまの言葉から始まった信仰です。四国の霊場を1000キロもめぐるお遍路は、自らの進む路を求め、迷える人の旅路となります。

いつもそばにいるのがお大師さまへの信心です。真言宗の寺院にたたずむ修行大師像は、お大師さまがあのお姿のまま、いつも私たちに寄りそってくれる、二人連れ立って歩んでくれる様子を顕わしています。生きている時も、死ぬまさにその時も、死んでからもお大師さまは一緒にいらっしゃいます。だから、お大師さまが生きていた時代から、千年以上の時を経ても、日本全国津々浦々にお大師さまの伝説は今も語りつがれます。それが日本中の人が千年もの間、お大師さまと共に生き、お大師さまを生きる糧、支えとしてきた証と言えるのです。
そんなお大師さまのお姿を目にしたい、どんな人なのか確かめたいなら、吉祥院へ足を運んで下さい。山門から本堂に続く参道の左側に、いつも一緒に歩むお大師さまのお姿を目できます。「同行二人(どうぎょうににん)」とは、今もなお、いつもお大師さまと歩める歓喜を内に秘めた言葉です。
