やまと心を詠ずる歌
いま、私たちが生きている世の中は、さまざまな情報があふれています。そして、その情報のひとつひとつをゆっくりと味わうこともないまま、息つく間もなく流れゆく出来事に一喜一憂する暇もありません。でも、私たちは、もっとゆっくりものごとを見つめて、喜怒哀楽をかみしめなければ自分らしく生きることもままなりません。
いろいろな人間関係の中で、自分を押し殺し、人の目を気にしながら自分の感情を抑えようとする……そんなふうにしてストレスがたまって、癒されたいという気持ちが生まれるのでしょう。自分の内にある想い、喜怒哀楽を自由に思い切りあらわにしたい。そんなチャンスを欲するようになります。
日本では古くから、大衆の娯楽が広まり、江戸時代にはさまざまな芸能が開花しました。歌舞伎や狂言、文楽、浄瑠璃、民謡、長唄など、庶民の心を和ませ楽しませる文化が流布します。同時に、観たり聴いたりして楽しむだけでなく、自らが身近に楽しみ、自分を表現する手段もいろいろと培われてきました。
また、各地方に伝わるお祭りや念仏講・踊念仏なども、大衆が一心不乱に自らの喜怒哀楽をさまざまに表現する手段となりました。今の私たちなら、カラオケで日ごろのうっぷんを晴らすとか、趣味やカルチャーや旅行でリラックスするのと似ているのかも知れません。
そしてもう一つ。昔から伝わるアナログなご詠歌は、今もなお、多くの老若男女に親しまれています。ご詠歌をお唱えするとどうなるか?日本に脈々と伝えられてきた旋律があなたの心を揺さぶり、体中が懐かしい感覚に包まれて、感動がこみ上げてきます。
仏の世界は、この心が求めて信じることによって、あなたの前に姿を顕わします。仏の世界はあなたの心が支えとし、より所として必要なものです。その世界を顕わにする手立てが密厳流のご詠歌です。あなたが抱える喜びも怒りも、哀しみも楽しみも、心の奥にある思いの丈を思う存分表現できるのがご詠歌です。お腹の底から声を出せば、哀しみが怒りはスッと消えて、喜びや楽しみがあふれます。苦を抜き、楽を与える歌、それが密厳流のご詠歌。お唱えすれば、仏の世界の扉が開かれ、あなたは慈しみの光明に包まれるのです。
