真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより) No.83

 仏さまが教えを説く。それが仏教です。仏の教えが説かれると、仏の世界が出現して、仏さまが現れます。東のはるか彼方には薬師如来が中央に座す浄瑠璃世界があります。西の彼方には阿弥陀如来の極楽浄土が、南には観音菩薩の補陀落山の浄土と、この世界のあちこちに仏さまの世界が存在して、迷える衆生に救いの手が差し伸べられています。私たちが迷い苦しむ時に仏さまのお名前(名号)を念じると、例えば「南無大慈観世音菩薩」と唱えると、すぐに観音さまの救いの手が目の前に現れて、その手を握りしめて、救われたいと念じれば観音さまにすくい取られます。
 仏の教え、仏教は迷える生きとし生けるものすべての苦を除き、楽を与えるのです。その仏さまの浄土は、はるか遠くなので、仏教が日本に伝来して千数百年を経て、全国津々浦々に多くの霊場が創建されて、数限りない人々の祈りを受けとめてきました。
 

 日本にある寺院の数はどこでもある便利なコンビニエンスストアよりも、今でも多くあるそうです。寺院にお祀りされるご本尊さま。それはその土地で暮らす人々のより所となり、ずっとその地域の霊場、パワースポットとして、地域の人たちを見守ってきました。どこの寺院も霊場であり、そのお寺の本尊さまの世界、浄土を顕現しています。そうした数多な霊場の中でも、ずっとずっとお参りの絶えない最も知られているのが百観音霊場(西国三十三、坂東三十三、秩父三十四観音の霊場)です。そしてもう一つ、皆さんがよく耳にするのが四国八十八ヶ所霊場(お遍路)でしょうか?他にもさまざまな地域にゆかりの霊場への巡拝が行われています。
 霊場を巡ることは、誰にでもできる修行です。自分の足で、それぞれ違ったたたずまい、異なる空間にお祀りされた仏の世界と巡り合う。数えきれない多くの祈りが捧げられてきた空間には、目に見えない、そこにたくわえられてきたパワーが溢れています。
 

 迷いや苦しみがあるなら、その足で霊場を訪れてお参りして、さまざまなその地で縁深い仏さまを拝んでみましょう。多くの祈りが捧げられてきた仏さまのご加護に包まれてみましょう。いくつも霊場を巡って、拝んで祈ると、あなたの功徳はいつの間にか幾重にも積まれます。
 人によっては迷いや悩み、苦しみが深くからみ合っていることもあるでしょう。その時には、巡礼や遍路に旅立つ前から、普段の暮らしの中で功徳を重ねます。それが写経や写仏を書写して書き溜める。巡礼する霊場のご詠歌をお稽古して、霊場でお唱えする。自らの手で仏さまのことばやお姿をしたため、自らの声の響きで仏さまに想いを伝える。仏教はこの身のすべてを施して仏の世界に身を置くことができるのです。誰でもちょっとの心がけでできる修行。実行すればきっと仏さまのご加護と救いにあなたは包まれます。
 

風信(かぜのたより)一覧