真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.78

 人はどこから来て、どこへ行くのか? これまでにそんな疑問を持たれた方もいるはずです。また、お子さんやお孫さんから「私はどうやって生まれてきたの?」と聞かれた方もいらっしゃるかも知れません。あなただったら今、その問いに何と答えましょう? コウノトリが……とか、他にどんな答え方があるのでしょう?
 真言宗の宗祖弘法大師空海、お大師さまは「生まれ生まれ生まれ、生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に、死んで死の終わりに冥(くら)し」と述べられています。「このいのちが何から始まったか辿っても暗くて分からないし、いのちが尽きて死を迎える際まで逝っても暗くて何も分からない。」ということ。生も死も何一つ分からない。でも分からないならそれでいい、とお大師さまは言っているわけではありません。分からないからこそ、このいのちの始めと終わり、いのちの意味と重さを思うことはとても大切だとの想いを残されています。
 

 ずっと昔を振り返れば、私たち日本人は輪廻を当たり前のように信じていました。少なくても江戸時代までは、このいのちは「生まれ死に、死に生まれる」と考えて、生まれ変わることは常識でした。前世と今生と来世、いのちはつながっている。生きている今に良いことを重ねれば、来世も善きように生まれる。悪事を積み重ねれば、悪しきものへと生まれ変わる。だから善き功徳を積もう、亡き人へのご供養も大切に欠かさない、と心に誓い言い聞かせました。それが“六道輪廻(ろくどうりんね)”という考えです。六道の道は“世界”という意味です。生まれ変わるたびに六つの世界を廻るのです。六つの世界とは「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人」「天」です。この世で悪いことをくり返すとそれに応じて、悪い地獄から最も善き世界の天まで六つの世界に生まれ変わります。そして、私たちは善い行いをしようと願いますが、悪いこともしてしまいます。だから善いことをして、次に生まれ変わる時は善き世界に生まれたいと願い祈ります。
 

 思い通りにならないことは、いつも私たちにつきまといます。悪いことは止めて、良いことをしよう。そう心がけてもつい、より良くなるように願い事を祈ったり、亡き人の冥福を祈ることを忘れたりおろそかにします。その思い通りにならないことが苦です。そして、仏教の教えは苦を無くすにはどうすればいいかを説きます。苦から解脱した世界、それが仏の世界。彼岸、浄土です。
 吉祥院のお檀家さんは、ご家族のどなたかがお亡くなりになると住職が通夜・葬儀を勤めます。通夜で戒を授け、葬儀では引導(仏に成る教え)を授けます。しっかりと読経して仏の教えを読み聞かせ、成仏してもらいます。すべての苦を除き、六道輪廻の迷いを滅して仏に成ります。どうぞ安心して下さい。あなたは死んだら仏の世界に行く。行き先はもう決まっています。
 

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