風信(かぜのたより)No.76
人にばかり頼っていたら何もできない。誰かに依存してしまう。何でも自分で決められなくて、人のせいにしてしまう。確かに、自分のことは自分でやらなければならないし、最後は自分で責任をとらなければならない時もあるでしょう。でも、自分ひとりで何でもかんでもやることは不可能ですよね。誰かの力を借りたり、助けてもらったり、時には支えてもらうことも必ずあるはずです。
人は一人では生きられません。それはこれまでをふり返れば明らかです。あの阪神淡路大震災や東日本大震災を始めとする災害も、あれほどの惨事に見舞われたら、ひとりではどうすることもできません。復興に向けて何よりも必要だったのは、人と人とのつながり、絆、支え合いの一つ一つが積み上げられて、人の心に勇気と希望を与え、それが大きな復興への力となりました。そこには目には見えなくても、小さな祈りが幾重にも無数に重ねられて、人々に生きる力を生み出しました。
何の理由もなく失われたいのち、亡き人の冥福を祈り、家族や知り合いの無事を祈り、いつか立ち直れるようにと心に堅くいつも祈ってきたから、願いはかたちとなり実現に向かいます。仏の教えというより仏教の救う力、仏さまの慈しみの心は、このようにくじけそうになったり、あきらめたくなったり、投げ出したくなる時にあなたにもたらされます。それが仏さまの加持力、救いの力というものでしょう。
加持力とは何でしょう?「加」は仏さまの救いの力のこと。「持」は私たち衆生の救われたい強い思いです。仏さまの救いの手が、私たち衆生の救われたくて差し伸べる手をギュッと握りしめて、すくい取ってくれるのが加持力なのです。
仏教は決して「くじけない」「あきらめない」「投げ出さない」教えです。それはつまり、人の可能性をどこまでも信じ切る教えということです。私たちのこの内には可能性が無尽蔵に秘められています。その可能性を「ホトケ」と呼びます。その無限の可能性を姿かたちにしたのが、仏さまのさまざまなお姿です。仏さまに手を合わせるとあなたの中に可能性が目覚め、心を込めた祈りがくり返えされると、可能性という仏が育まれ、生きる力がみなぎります。