真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.49

 物忘れが多くなる。歳を重ねると人の名前がなかなか出てこない。予定を忘れてしまう。また外出する時に忘れ物をして戻ると、何を忘れたのかを忘れちゃう。こんな時、自分が情けなくなる。そんな経験をしていませんか?齢を重ねると共に、多くの経験を積んで、若い頃より、周りが見えて落ち着いて行動できる。その一方で、余裕ができると後先が見えて、あきらめが早くなってしまう。年を重ねると可能性をせばめ、何でも無難にやり過ごしてしまうことになるのかも知れません。
 でも、物忘れがひどくなることが、悪いことばかりとは言えない気もします。人は多くの経験を重ねると同時に、その経験は多くの喜怒哀楽を伴います。お釈迦さまは「諸行無常 一切皆苦(この世のすべてのものは常には存在しない、移り変わる。だからすべて苦しみである)」を説きましたが、すべてが苦しみとしたら、生きていくこと自体が大変でしょう。だから、時に忘れ去ることも、生きてゆくためには必要なことかも知れません。
 本当に大切なもの、かけがえのないものなら決して忘れないでしょう。8年前の東日本大震災を初めとして、これまでの未曾有の災害が起こるたびにメディアなどから「私たちは決して忘れない」という著名人のコメントがくりかえされてきました。しかし、数年も過ぎれば、そうした声も行動も少しずつかき消され、忘れ去られようという雰囲気が世間に漂います。被災された皆さんは、この言葉をどんなに励みにしてきたか。でも、そのエールは薄くなり届かなくなる現実の中で私たちは暮らしています。
 そして……、自分自身を振り返った時、その足元を見つめてみると、今この自分を支えてくれている多くのものへ、私たちは自らのまなざしを向けているでしょうか? 今いのちあることを「ありがたい」と実感し、今はいのち亡き存在の冥福を祈り、感謝の念をこの内に抱いているのでしょうか?
 生きていくのが精いっぱいとつぶやいて、自分の依って立つところ、支えてくれるものへ気持ちを向けることを忘れていませんか? 人は忘れることで生き続けられる生き物です。でも、「祈り」と「感謝の念」を忘れると生きがいを失ってしまう生き物でもあります。お家のお仏壇に朝な夕なに手を合わせて、自分を支えてくれている存在の無事を祈り、無事に感謝する。自分だけじゃあ生きられない。お仏壇を拝むのは、そのことを自身に言い聞かせるため、忘れないためにくり返しているのです。あなたのご両親、祖父母、ご先祖さま。みんな自分を活かしてきてくれた大切なものをきっと忘れないように祈っていました。正月、お盆、春秋のお彼岸。お墓をお参りして、祈り感謝してきました。自分の大切なものを忘れないように。心を豊かにし、感性を鋭く育むように。
 

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