真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.18

 古いものは良いものと言えるでしょうか? 良いものだからいつまでも重宝にされて残される。良いものは長持ちするし、愛されるからいつまでも使われる。それならば、古くなったものは良いものだと言えますね。「温故知新~古きをたずねて新らしきを知る~」という言葉は、このことを言い当てているのでしょう。しかし、今のこの世は、そのような古いものを尊び、かたち(形式美)に重きをおく風潮からはかけ離れています。次から次へと新しいものに目移りして、自分自身も移ろい行く。何でも簡略化して、面倒なことはすぐに避けようとする・・・・・・

 もともとの意味合いを忘れてはいませんか? あれもこれも、合理的に簡単に省略ばかりしていると、心を込める時間も空間も無くなってきませんか? 何のことかって? それは私たちの心のことです。あなたの内にある心のことを言っているのです。あなたの心はどこにありますか?あなたには心がありますか? どこにあるのですか? あなたが行なうこと、ひとつひとつに心を込めなければ、いつか、あなたの心は、あなたの中にどこにもなくなってしまう。心を込める、想いを強くする。そうして、心を意識した暮らしを心がけないと、感動や感性の貧しい生活を送るようになりはしないかと心配になりませんか?
 むかしむかしから受け継がれてきた生活様式や小さな儀式(行事)は、私たち日本人が心を豊かに、喜怒哀楽にあふれた人生を生きるために必要だったものです。そこには、生活の中に息づいていた宗教的な行事もいっぱいあります。人が生まれれば、命名・お宮参り・お食い初め・七五三・成人式等があります。死んでからなら、湯かん・末期の水・枕経・通夜・葬儀・告別式(花入れ)・初七日・忌明け・年回忌などもそうです。その中のひとつを取り上げると、最近、省略される最たるものが、初七日でしょう。人は、亡くなると七日目ごとに定められた仏さま・ご本尊さまの徳と戒律を授かり、修行を重ねて、弘法大師空海に手を導かれて真言宗の浄土・密厳浄土におもむくことになります。このうち、初七日と四十九日忌に重きをおいて、その間の忌日を省略するようになりました。それだけではすまずに、今度は初七日を、亡くなって七日目に行わなくなります。葬儀の当日に行なってしまう。最近では、葬儀の直後に引き続いて行なうことも躊躇すらしません。生きている人たちの都合で、面倒だから簡単に済ませる。亡くなられた魂は、果たして安らかに眠ることができるのでしょうか?
 人は生まれて死んで・・・・・・ 生まれてからの行事は、家族にとって「いのち」の成長を喜び、愛情を育むもの。死んでからの行事は、遺族にとって悲しみを癒し、元の生活に戻るためのもの。ちょっと見た目は、堅苦しい単なるかたちばかりのイベントかも知れません。でも、実際には、古くから培われてきた私たち日本人の財産、心を豊かにするための意味深い営み、生きる知恵なのかも知れません。

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