真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

わかりやすくQ&A霊魂は存在するのかな?

Q1魂とか、霊とかって一体、何なの?
 魂、霊、霊魂、幽霊、精霊、み魂。実に色んな言葉がいっぱいあります。大和魂、負けじ魂。スポーツなどでは「魂のこもったプレー」なんてことを言ったりしますし、「三つ子の魂百まで」とも言います。精神的に強いとか、気合が入っている時などに「魂」って使うことが良くあるようです。
 「霊魂」と聞くと何を連想するでしょう? 亡くなった人の存在を感じる時など、霊とか霊魂、み魂とか言われているようです。霊的存在とか精霊といった場合は、何か神聖な存在を感じる時に使いますかね?
 どういう使い方でも、こうした言葉は目に見えない、手に触れられない存在を言い表した言葉と言えるでしょうか。
Q2目に見えないものは感じられるのか?
 私たちが言葉で言い表せられない時に、摩訶不思議とか不可思議と言います。人の考え(思義)が及ばないものが「不可思議」というわけです。目に見えない手に触れられない存在を感じると不安に陥り、恐れを抱くのは当たり前のこと。でも、何か分からないし、言葉では言えないけど、そういう存在があるんだ。科学的に証明できなくても、人はそういう存在を感じられるんだ。それが日本人の昔からの感覚なんだと思います。
 霊的存在とか精霊を感じる。これは日本人には当たり前のことではないでしょうか? お盆の精霊棚の飾り、お墓にお参りして提灯に火を灯して迎え火をたく。提灯の灯は亡き人の魂そのものと感じている。それが日本の原風景、心のよりどころなのではないでしょうか。
Q3魂ってどんなものなのかな?
 人が死ぬと数グラム体重が減るっていう話を聞いたことがあります。その数グラムが魂の重みなのでしょうか? でも日本人は昔から目に見えない、手に触れられない魂の存在を当然のように感じてきました。万葉集の歌では「いのち」の枕詞は「たまきはる」「たまちはる」なのだそうです。「魂がやって来て極まる」「魂が身体に満ちる」ことが"いのち"ということになります。また、「いのち」の「い」は息のこと、「ち」は霊を意味します。霊が息をするから「いのち」と考えていたようです。
 いのちとは、霊であり魂と昔から感じていたわけです。存在するしない、目に見える見えない、なんてことはどうでもよかった。自分の内にある当たり前に感じられるもの。それが魂であり霊だったわけです。今の私たちとは、感覚が違うというか、感性が深く、鋭かったんだなあ、って思いませんか?

わかりやすくQ&A一覧