真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.72

 いまこの社会は、情報化社会と呼ばれるように、ありとあらゆるものが紹介され、私たちは簡単に調べ、知ることができます。自分の手の内にあるスマートフォンや携帯電話で、知りたい情報を一瞬で目にすること、耳にすることができます。でもその一方で、すぐ手に入る情報に振り回されることも良くあります。これだけ情報が氾濫すると、その情報が確かなものか、不確かなものか分からなくなる。そして、自分に必要なものが何だか分からなくなってしまう。結局は使わないものを手にしてしまうこともきっとありますよね。
 この情報化の社会は、消費を推し進める社会でもあります。人の欲望、欲しがってしまう性質を刺激する情報も乱れ飛びます。自分が本当に欲しいもの、必要なものは何か? 少し間をおいて、立ち止まってみることが何よりも大切なのかも知れません。
 

 情報は見ているだけでなく、手に取ってみて確かめることも必要でしょう。私たちは目に見ているものと手に触れられるもの、つまり五感すべてを使い、色々な感覚を合わせて自分を実感する生きものでもあります。これだけの情報が右から左に、あっという間に消えていく時間の中に身を置いていると、実感することもなかなかできないかも知れません。
 そしてもう一つ忘れてはならない大事なことは、この世の中は、目に見える手に触れられるものと、目に見えない手に触れられないものに分けられることです。この世の中は、姿かたちを目で見て手に触れて確かめられるもの、それと、姿かたちを目で見られない手に触れられないものとに大きく分けることができます。私たちは目に見え、手に触れられればひとまず安心できますよね。
 目に見えない手に触れられないもの。つまり、私たちに生きる力を与えてくれる夢とか、勇気や希望、愛情や思いやり、やさしさは感じられるものですね。
 

 最近話題となっているパワースポットを巡るブームは、その名のとおり「生きる力」を授かるためのものとも考えられます。日常の暮らしに疲れて、息苦しくなって、何か自分の中に実感したい時に、ずーっと昔から多くの人たちが巡った霊力あふれる聖地を巡る。そうした非日常に身を置くことで生きる力を充電してきたわけです。目に見えない手に触れられないものを感じられる。それがあなたを自分らしくする一番のリラグゼーションでもあり、癒すことにもつながるでしょう。
 目に見えるもの、手に触れられるものばかりにとらわれると、人は疲れて壊れてしまいます。あなたが生まれてから育んできたスペック(能力)を研ぎ澄ますには、目に見えない手に触れられないものを感じること。
それがあなたの最もベース(根幹)となるものです。

 

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