真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

明恵


 明恵(みょうえ)上人は、鎌倉時代を生きた僧侶です。鎌倉時代は日本の政治史・精神史・思想史上、大きな転換期となった時代です。仏教史では、現在ある多くの宗派の祖師 親鸞(しんらん)・道元(どうげん)・日蓮(にちれん)といった誰もが知る高僧が輩出されました。そんな中で、明恵上人は、そうした名だたる祖師たちが、自らの信じる仏の道を民衆に説いて広める活動とは、まったく異なる道を歩みます。
 明恵上人は、歌人でもある西行法師(さいぎょうほうし)より歌道の指導・感化を受けて、「月の歌人」と呼ばれました。悟りの世界の様子を月に見立てて、月にまつわる多くの歌を詠んでいます。そして、西行と同じように、月をイメージした瞑想(めいそう)「月輪観(がちりんかん)」を好んで修(しゅう)していたようです。また、京都の高山寺(こうさんじ)をたまわり、訪れる際に「すべてこの山の中に、面の一尺ともある石に、わが坐<せぬはよもあらじ」と述べられたように、いつでもどこでも、坐して瞑想され、自らの心のありようを見つめていました。
 また、明恵上人は、十九歳から亡くなる前年の五十九歳まで、自身の見た夢について、こと細かく日記に付けました。その『夢記(ゆめき)』について臨床心理学の権威、河合隼雄氏は「他の名僧のように新しい宗派を起こしたのでなく、大きい宗派を維持したわけでもない。しかし、彼は世界の精神史においても稀有(けう)と言っていいほどの大きな遺産をわれわれに残してくれた。それは、彼の生涯にわたる壮大な夢の記録である。」と述べています。
 夢から醒(さ)めて、それが夢であることを知る。覚醒して悟りを得るのであれば、覚醒していない私たちの生きているこの世界は、夢のただ中。私たちはまさしく、迷える人ということになります。

風信(かぜのたより)一覧