真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

小林一茶


 信州長野の柏原村に生まれた小林一茶は、俳人としての名声とは裏腹に、その人生は不遇そのものだったと言えるでしょう。三才で母を失い、継母(ままはは)との折り合いが悪く、十五才で江戸へ奉公に出されます。二十五才の頃から俳句を始め、師について学び、三十才を過ぎて七年間は西国行脚(さいごくあんぎゃ)の旅に出て俳諧(はいかい)の道を極めようとします。その後、父の死を境に十数年に及ぶ遺産争いの後、故郷に戻って、五十一歳で結婚。四人の子供をもうけますが妻共々、すべて死別します。二人目の妻とは二ヶ月で離縁、さらに三人目の妻が嫁いだ後に、村の大火で家が焼失し、焼け残った土蔵で六十五才の半生を閉じました。
 「やれ打つな 蝿が手をする 足をする」「やせがへる 負けるな一茶 ここにあり」といった一茶の句には、俗語や方言を巧みに用いて、日常の中にある主観的・個性的な作風が感じられます。そうした一茶の句には、彼の生きざまが大きく関わってきたと言えるでしょう。愛する人、かけがえのない人との数え切れない別れ。人ばかりでなく、地位や名声、物へのこだわり、執着を捨てきれない思い……。「別れる時期を逃すと誹(そし)られ悔いを残すことになる」という思いを、一茶はどんな時にかみ締めたのでしょう?
 別れがたい思い、離れがたい心。そうした心持ちを断ち切って、気持ちを整理して、私たちは、新しい視点に目を向け、できれば言いたくない言葉を口にしなければならない時があります。生きるために勇気と力をふりしぼらなければなりません。だって、未来と希望は必ずそこにあるのですから、現状を先延ばしにするわけにはいきません。

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