真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.2

 スピリットという言葉からどんなことをイメージしますか? ファイテイング・スピリットは闘争心という意味ですね。一般的に「スピリット」は、心とか精神、魂、霊性という意味で使われることが多いようです。魂とか霊性と聞くと、ちょっとオカルトチックとか非科学的と感じられますが、もうちょっとだけ考えをめぐらしてみると、私たち日本人には、昔からなじんできたこと、親しんできたモノという気がします。八百万(やおよろず)の神とか、ご先祖さまとか、魂の叫び、なんていう言葉は、私たちの内にある精神性とか、脈々と受け継がれてきた何か、医学的にはDNAと同じようなものかも知れません。

 いのちの尊厳ということも最近、良く耳にします。良く耳にする言葉ですけれども、いのちとは何かと問われた時に、あなたならどう答えますか? 生命(せいめい)といのちは違うものなのでしょうか? ニュアンスにちょっと違いを感じませんか? いのちについて、ちょっとひも解いてみると、遠く万葉集の枕詞(まくらことば)では、「たまちはる」「たまきはる」と言います。「魂がやって来て極まる」という意味だったそうです。また、古来よりいのちとは「息の霊」と考えられていたようです。つまり、自分の体の中で、霊性が呼吸して息づいていると実感していたわけです。
 生きているものはいつも呼吸しています。呼吸を通して空気が体内に入り込み、さまざまな栄養分と共に酸素や赤血球を運び、細胞を活性化させています。こうした食物連鎖や体内のいろんな循環の中にいのちの存在があるという感覚が、私たち日本人の生命観と言えるものなのでしょう。ですから、「たまちはる」には、「いのちは霊力のはたらきによるもの」という意味が込められていたようです。

 いのちとは、人の魂とか精神が息づいていること。つまり、自然の循環の中で活かされている営みと考えられるわけですよね。自分の魂が息づいていて、自然の中で活かされていることを実感できる時に、いのちを全うしていると言えるのではないでしょうか? 自分だけの存在を誇示しない、自然の循環の中で息をしていられることに感謝できる。エコロジーとか環境なんて耳に心地良い言葉で、他人事のように語るよりも、この内にある魂のいきづかいを感じられるというなまなましい営みを、しっかりとリアルに実感したいものです。
 

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