真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.12

 一人で生きられないことを、私たちは誰でも知っています。知っているにもかかわらず、私たちは周りの迷惑をかえりみずに、他人をいとも簡単に傷つけます。一人では生きられないのだから、相手を認め、尊敬の念を持って、まわりへの心配りを忘れないようにしなければなりません。誰かを愛したり、誰かに愛されたり、言葉を交わし、心を通わせ、誰かと一緒に喜怒哀楽を分かち合わなければ、人は人として、人間らしくは生きられません。たった一人で、誰と会話することもなく、喜怒哀楽を共有しないまま、生きていくことはできません。そんな生き方をしたらそれは、人間が本来持っている、すばらしい能力や無限の可能性を失わせることになるのでしょう。いま、世間で話題となる「キレやすい」「分別のない」ヒトは、こうした人とのコミュニケーションや、人間どおしの親しみのあるかかわりを、あまり経験して来なかったのではないでしょうか?
 人とかかわると、面倒なこともあります。自分の価値や判断や常識と違う他人は、かかわればかかわるほど、さまざまな思い過ごしや行き違い、誤解を生み出します。そのことを考えると人づきあいはしんどく思えてきます。人との交わりは、できれば避けたくなります。でも、いろんな人たちとのかかわりの中で、互いのことに一喜一憂する暮らしは、心や感受性、人として、豊かになってゆくと思えませんか? 喜びの感動を共有したり、悲しみを分かち合える素晴らしさは、格別だとは思いませんか?

 高齢化社会になって、これからは誰もがひとりで何から何まで自分のことが出来るわけではありません。齢を重ねて、身体のあちこちの具合が悪くなる。そうしたら、人に頼って生きていかなければなりません。誰かに支えてもらって、互いに支え合って暮らしてゆかなければなりません。その時に、あなたがこれまでに関わってきた人との触れ合いが生かされるはずです。喜びを分かち、苦しみを共に生活を送ってきたあなたのまわりの人たちが、きっと、あなたを支えてくれるはずです。心からあなたの身のまわりの世話をしてくれます。
 自然とのかかわりも、同じです。幸いなことに、欧米人と違って私たち日本人は、自然を征服する姿勢よりも、自然の恩恵に包まれて、自然の中で、自分を生かそうとしてきました。いま、よく耳にする「自然との共生」よりも、自然をより豊かにするために大切にして、その自然のいのちのエネルギーの中で、自身の能力を生かそうとしてきました。自然に抱かれて、その恵みを受けて、生きとし生けるもののいのちのひとつとして、自分を生かしきろうと考えてきました。仏教では「山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」と言い、すべてが仏になれる可能性があると言います。一人では生きられない。まわりの人たちと、自分を包んでくれる自然の恵みが、いつまでもこの身にそそぐように、いま、何をしたらいいのか? さあ、いまの自分とそのまわりをもう一度、見つめなおしてみましょう!

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