真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.24

 この世とあの世は三途の川で分けられています。いま、いのちある私たちの住む世界がこの世。いまは亡き故人たちが住む世界があの世です。仏教では、三途の川の向こう岸を彼の岸と書いて「彼岸(ひがん)」、こちら岸を此の岸と書いて「此岸(しがん)」と言います。あの世は、これまでにも実にさまざまに言い表されてきました。例えば、仏(悟り)の世界。黄泉の国。その他にも浄土、来世、極楽と地獄などなど、まだまだキリがありません。
 死後の世界とはどんな世界なのでしょうか? 菩提寺の住職が引導を渡して、迷わず成仏した先の世界には、一体、何があるのでしょうか? 死に対する私たちの不安や恐れの多くは、死後の世界がどんなところか、何も分かっていないことによるのでしょう。自分が死んでからどんなところに行くのか? 想像してみることなんてほとんどありませんよね。これだけ、コンピューターによるグラフィック化が進んでも、死後の世界のことをリアルに描かれたものなんてなかなかお目にかかれません。
 お彼岸という期間は、三途の川の向こう岸にいる亡き人やご先祖さまが主役となる一週間です。ご先祖さまや亡き人の魂が住む世界に想いをめぐらし、お墓をお参りして、亡きみ魂と向き合い語り合う期間と言えるでしょうか。今となっては、肉体は滅んでしまっても、その魂は、三途の川の向こう岸、彼岸に確かに生き続けているのです。生まれる、老いる、病む、死ぬという私たち誰もが避けて通れない4つの苦しみ。そんな苦しみは、生々しい肉体があるからこそ抱くわずらわしさとも言えます。
 死によって身体が滅び、引導を渡されて成仏する。つまり、仏となって、彼岸の世界に送られた魂は、身体のわずらわしさから逃れられて、自由に伸び伸びと仏の世界で暮らしているのです。そんなふうにして、日本人は古来より、死後の世界のことをイメージ豊かに考えて、描いてきました。地獄図や六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻する図、極楽図。そして、仏の世界を描いた曼荼羅図は、輪廻から解脱して仏になった魂が向かう世界として描かれたものです。
 死は人生の終わりではありません。肉体は滅んでも、その人の魂はそれから先も彼岸、すなわち仏の世界に安住しています。死によって肉体が滅びると、生きている姿が目に見えなくなると、残された私たちは、悲しくつらい想いでいっぱいになります。でも、亡き人のみ魂は永遠に彼岸、仏の世界にあるのです。仏となって曼荼羅世界から私たちを見守ってくれています。弘法大師空海お大師さまは「身は花と共に落ちれども、心は香りとなりて飛ぶ」と言っています。
 だから、仏の世界である彼岸は、いま私たちが生きているこの世とは別の遠いところにあるのではありません。お寺のご本堂にまつられている仏さま、ご先祖さまのお墓、そして、お仏壇の中にあるご本尊さまとご先祖さま。皆さんがすぐに祈れるところにあるのです。自分が手を合わせて、亡き人のご冥福を祈り、仏さまいつも念じていれば、仏の世界はあなたの中に確かに育まれてゆくのです。

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