真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.36

 見る、聞く、味わうことにじっくりと気持ちを向けられる季節となりました。もうしばらくすると読書の秋、芸術の秋、食欲の秋などと、この季節は五感をかき立てる気候なのかも知れません。仏教では、眼・耳・鼻・舌・身・意を大切にすることをよく説きます。そして、その5つの感覚器官の対象となる「見えるもの」「聞こえるもの」「香り」「食物」「触れるもの」「心に感じるもの」をありのままに受け止めることが大切だとも説くのです。有名な般若心経にも、このことがつづられています。
 般若心経はこうした対象と感覚器官が、いつもその人の主観や好き嫌い、欲とか思い込みによって、ありのまま、そのままに受け止められないと指摘します。自分に都合のよい解釈(主観)を加味するので、さまざまな誤解が生まれて、それが人の心を苦しめ、まわりの人にも迷惑をかけることにつながります。物事をしっかりと見つめて、音声に静かに耳を傾けて、その本質をじっくり味わう。深まりゆく季節に、移ろおうとする心を落ち着かせて、良く見聞きし、味わってみませんか。
 ありのままを受けいれることは、なかなかむずかしいかも知れません。自分の考えやスタイルを持っている人は、特にそうなのでしょう。しかし、そういう人は、姿勢が前につんのめったり、呼吸が気ぜわしくなっているのでしょう。あるがままをそのまま受けいれるには、姿勢と呼吸が大切になります。これは古来よりインドのヨガや中国の気功、日本の瞑想でも長きにわたって培われてきました。姿勢を正しくして身体の緊張をゆるめて呼吸を深くする。そうすると身体の感覚が鋭くなり五感が活性化します。この状態をくり返して習慣にすると身体を流れる血液やリンパをはじめ、体内循環がなめらかになって、体内の毒素も外に排出されます。
 そうすると、目に見える、耳に聞こえる、香り、味わい、皮膚の刺激、心の感受性も、在るものをそのまま受けいれられるようになります。そうした身体の状態で瞑想すると心も安らかになります。
 姿勢と呼吸は、人がいのちを生き生きさせる時にいちばん基本となります。現代社会に身を置く私たちは、あふれる情報に右往左往させられて、ものごとをじっくり見聞きする暇もありません。首や肩や背中のコリはそんな気ぜわしい世の中に身体が悲鳴を上げているシグナルです。本来のかたち、つまり身体を伸び伸びさせて、姿勢を正しく座り、呼吸を深くする。そうするだけでも心は穏やかになるはずです。自然に包まれている自分をイメージして、自らに与えられたいのちを活かしきる。姿勢が悪くて呼吸が浅いと心もしおれてしまいます。酸素をいっぱい取りこんで、体内循環できるように姿勢を正しくしてみませんか。そうすれば、ナチュラルな自分が、まわりに素直に向き合えるようになるはずです。

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